日本人とユダヤ人
1、要旨
日本生まれのユダヤ人である著者イザヤ・ベンダサン(ペンネーム山本七平)が鋭い目で日本人とユダヤ人を比較した「日本人とユダヤ人」を読んだ。大変な名著だと感じたので、その一部を抜粋して以下に記す。
2、内容
(1)安全と自由と水のコスト
日本人は有史以来、常に自由であった。そして安全と水は無料で手に入ると思い込んでいる。日本民族は何の苦労もなく育ってきた秀才のお坊ちゃんである。「地震・雷・火事・オヤジ」と言っていた日本は実に平和であった。
19世紀になってもロンドンからドーバーまでいくのが命がけであったし、パリからマルセイユまで行くのに軍隊を伴って行かなければならなかった。この当時、東海道五十三次を女性がひとりで旅ができた日本はたいへん安全な国だった。
ユダヤの地はとても危険な場所だったので、ユダヤ人は自らの手で高いコストをかけて自らを守ることをしなければならなかった。
(2)クローノスの牙と首
イスラエルは四国より少し広い地域に熱帯・寒帯・湿地帯・砂漠・平地・丘陵地・海・湖・川が入り組んで、地球のミニ版になっている。
日本は別の意味で地球のミニ版である。赤道直下の気候にもなれば、シベリア以上の積雪にもなる。ボルネオのように湿度が高くなることもあれば、東京砂漠などという言葉が出るほど乾燥したからっ風が吹くこともある。そして日本ではこれがほぼ正確に一定期間で循環している。これを見るとつくづく日本は「90日の民」だという気がする。
ギリシャ神話のクローノス(時間)の鼻先を日本人は駆けている。生きるために米を食べ、米を食べるために米を作り、その米をつくるためにクローノスに追いまくられる。立ち止まることは許されない。まさにクローノスは牙と爪をとがらして遠慮なくつかみかかってくる。この秒刻みともいえるスケジュールに追いまくられ、無我夢中のうちに月日は過ぎていく。
イエメンのユダヤ人はそこに住み着いてから二千年が経ったある日、パレスチナの地に自分たちの祖国が建てられたと聞いた。すると、そこに(イエメン)住んでいた殆どの人が祖国へ向かって歩き出した。イスラエル政府は驚き、輸送機をチャーターしてその人々を運んだ。彼らは輸送機が来たことに少しも驚かなかった。理由を聞くと「聖書に記されているでしょう。風の翼に乗って約束の地に帰ると」。クローノスの首に乗っていれば一年も二千年も同じだが、牙の先を駆けているのとの差は決定的である。
(3)別荘の民・ハイウェイの民
日本人をユーラシア大陸から少し離れた箱庭のような別荘で何の苦労もなく育った青年と見るなら、ユダヤ人はユーラシアとアフリカをつなぐハイウェイに裸のまま放り出された子供である。
平和な別荘で文字通りお蚕ぐるみで育てられ、秀才だが世の荒波を知らない人物。従って外に出ると、何事にもすぐ緊張して固くなる人物、図々しさがむしろ美徳とされる外部の世界をあぜんとして眺めている育ちの良い人物、しかも無能でもお人好しでもなく、キャンペーン型稲作に千数百年にわたり徹底的に訓練された特殊技能の持主というべきであろう。従って日本人の能力や考え方は他の国の尺度では計れない。
パレスチナは昔から「陸橋」と言われ、常に戦場であった。チグリスの巨人は北から攻め下り、ナイルの巨人は南から攻め上った。海の民は海岸に侵攻し、ヨルダンの彼方からは耐えず放牧民がなだれ込んだ。これが実に四千年に渡って間断なく続いた。 日本人はこのものすごさを知らないだけでなく、祖国喪失の苦しみも知らない。
(4)政治天才と政治低能
日本は「朝廷・幕府併存」という不思議な政治体制であった。この二権分立を考えた最初の人間はユダヤ人の預言者ゼカリヤであったが、ゼカリヤの夢は夢で終わった。 天皇はヨーロッパ的意味の皇帝ではない。天皇は「日本教」の大祭司である。不思議な事に日本人自身がこのすばらしい二権分立を高く評価していないという現実である。天才とはそういうものであろう。
ユダヤ人は政治低能と規定できる。二権分立もできなかったし政治センスの良い人も出現しなかった。少しでも政治センスの良い人がいたら、パレスチナも沖縄のように無血無償でユダヤ人の手に返って来る機会はいくらでもあった。ユダヤ人は契約が最初に来るから、まず既得権を作り上げるという離れ業ができない。
(5)全員一致の審決は無効
日本では満場一致の決議さえ、その議決者をも完全に拘束するわけでないし、国会の法律さえ100%国民に施工されるわけではないから、厳守すれば必ず餓死する法律ができても、別に誰も異議は唱えない。法律を守った人間はニュースになるが、破った人間はもちろん話題にものぼらない。といって日本が無法状態なのではない。ここに日本独特の「法外の法」があり、「満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず」という断固たる不文律があるからである。従って裁判もそうであって「法」と「法外の法」との両方が勘案されて判決が下され、情状酌量、人間味あふれる名判決などとなる。日本人はこの不文律を無意識のうちに前提とするが、これは日本独特のもので外国にはないから、外国の会社などと契約を結ぶ場合、大きな失敗をするわけである。
日本人が無宗教だなどというのはうそで、日本人とは「日本教」という宗教の信徒で、それは日本人を基準とする宗教であるが故に、人間学はあるが神学はない一つの宗教なのである。
ユダヤ人の発想は「全員一致の議決は無効とする」というものである。その決定が正しいなら反対者がいるはずで、全員一致は偏見か興奮の結果、又は外部からの圧力以外はありえないから、その決定は無効だと考える。
(6)日本教徒・ユダヤ教徒
日本には日本教という宗教が厳として存在する。これは世界で最も強固な宗教である。というのはその信徒自身すら自覚しないまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗さすことが可能だなどと考える人間がいたら、まさに正気の沙汰ではない。日本教の根本理念を形成する「人間」なるものの定義がすべて言葉に寄らず、言外でなされていることである。「法外の法」と「言外の言」、この二つが日本教の根本理念である「人間性」を定義しており、一切の異邦人はこの聖域に近寄ることを許されない。
イスラエルには宗教裁判所がある。ユダヤ人はラビ法典に従い、イスラム教徒はシャリア法典に従い、キリスト教徒はキリスト教法典に従うので、各宗教に裁判所が別になっている。ユダヤ教の「神と人の関係」が血縁なき「養子縁組」だから、「神はイスラエルを選んで自分の民とした」。多くの民の中から選ばれて「養子」にされた。養子になるにはさまざまな契約があった。モーゼの十戒などの神の定めた律法を正確に守り抜くことがイスラエル三千年の歴史を貫く根本的な考えである。
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