日本の空白4世紀
1、要旨
邪馬台国から大和朝廷へ移り変わっていった4世紀(266年~413年)は歴史文献が無く、「空白の4世紀」と言われている。この4世紀の間に日本国の政治体制の骨格ができたとも言われている。また、「歴史は勝者によって作られる」という言葉があるように、今私達が教えられている歴史というのは時の権力者によって都合良く作り変えられた可能性がある。そんな中で最近の仮説を以下に記します。
2、五大勢力の統治時代
「卑弥呼」がいた時代は特に大きな国として、五つの国があった。
(1)「邪馬台国」(中国系渡来人で日向族とも呼ばれる)
現在の北九州から熊本にかけて存在した。その都は福岡付近にあった。「卑弥呼」とは「太陽神に仕える巫女」であることを示す言葉であり、一個人を指す名前ではない。
(2)「海人国」(韓国系渡来人で出雲族とも呼ばれる)
山陰を拠点に置き、能登半島まで勢力化に置き、都は出雲にあった。「卑弥呼」と呼ばれたシャーマンは壱岐島出身の女性で、能力の高い貴女だった。
(3)「倭国」(中東のハッタイトからの渡来人で秦氏と呼ばれた)
和歌山付近を拠点に近畿地方を勢力下に置き、その都は境付近にあった。ユダヤ12支族のひとつを構成する部族で、頭脳集団・技術集団としての流れを残す民族。
(4)「日本国」(韓国系渡来人で日本族と呼ばれる)
群馬西部から埼玉北部を拠点に、関東一円から信州・甲州を勢力下に置き、都は群馬県富岡付近にあった。
(5)「蝦夷国」(秦氏から出て蛮族と呼ばれる)
宮城付近を拠点に東北地方を勢力下に置き、その都は塩釜付近にあった。ユダヤ12支族の一つを構成する「ヒッタイト」である。ヒッタイトは戦闘集団としての色が濃い。
これらの「五国」に中で、最も勢力が大きかったには「日本国」であった。
3、同盟国の誕生
邪馬台国と海人国に倭国を入れた3国による同盟が成立した。そして都を奈良県桜井市付近に置き「まき向京」と名づけられ、類を見ないほど大きな規模と豪華さを誇った。しかし、都の造成途中で邪馬台国の卑弥呼が裏切り、海人国の大国主命を騙し討ちにした。そして実権を握った邪馬台国の卑弥呼は自らを「天照大御神の写し身」と名乗り築いた王朝が「大和朝廷」でした。その都は大和の地に置き、「海人国の王・大国主命」の祟りを恐れ、その怒りを鎮めるために大国主命を「大物主」という名称で三輪山に祀り、その麓にあった大神神社に神宮を開いたそうです。これが現在の伊勢神宮・内宮の起源。
卑弥呼は西日本をほぼ征服し、ついに日本統一を成し遂げるために最大の脅威である日本国を滅ぼしにかかった。それが「日本武尊の東征」で成功を収めた。
大和朝廷に溶け込み、気配を絶っていたのが「倭国」の「秦氏」で、天皇家を守る裏の存在として「闇の八た烏」が組織された。
また大和朝廷は天皇になれない「皇子」を皇室外に出し、「平」と「源」の姓を与えて「平家」と「源氏」を組織させて天皇家直属の戦闘集団を作っていった。
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